中国で掛川植林隊と行動を共にして
今回、掛川日中友好協会の内モンゴル恩格貝(オンカクバイ)での植林活動に合流させて頂いた。
掛川が行っている植林活動を知ったのは楡林掛川プロジェクトを考えている頃で今年3月の帰国時に協会の方と会ったときにお願いしたものが実現した。
その様子と感想を書いておきたい。
掛川隊・植林地との出会い
掛川隊に合流するために楡林から400㎞ほど離れたところにある内モンゴルの包頭(ホウトウ)に前日入りした。
翌日、駅にて北京から来る一行を待っている間、自分がこの地でまだ見ぬ掛川の人々を出迎えるという状況に不思議な面持ちだった。表現しにくいが、喜びに近いものを微かに感じていたように思う。駅前は、荷物を置いて座り込んでいる出稼ぎ農民たちで溢れかえり、出口付近は大勢の現地中国人が電車の到着を待って群がっている。自分がこんなところに混じっていることが可笑しくも感じ、計23名いるという掛川一行がこの人ごみを掻き分けて登場する姿が想像しにくかった。その勇姿を映像にしておこうと待っていたが、結局混雑に負けて全く撮れていなかった。
合流すると、すぐに隊長が僕のことを紹介してくれた。どうやら一度しか面識のない隊長の方も自分と同じようなことを感じていたようで、
「3月に会ったときは本当に来るとは思っていなかった。それがこんなところで掛川の若者に会えることになって本当にうれしい。」
と話してくれ、盛り上がった。
包頭から植林地の恩格貝まではバスで1時間半程南に走ったところにある。
今年は雨が多かったためか辺りは予想よりもはるかに緑が多かったが、到着まであと30分ぐらいになると急に緑が減って砂漠に変化した。更に走ると前方一帯に広がる青い景色が視野に入る。「あれは御前崎の海じゃないか?」と言って笑わせてくれた人がいたが、実はそこが植林地だった。

この巨大な恩格貝植林地には遠山正瑛氏の呼び掛けによって毎年日本各地から植林チームが集まるようになったという経緯がある。91年から始まったポプラを中心とした植林は300万本(2002年の時点)を達成しており、97年から参加している掛川隊の活動も当然カウントされている。ちなみに掛川隊の中にはそれ以前から参加している人もいて、緑化の方法として葛の種をここに届けていたことを移動のバス中聞いた。僕が小学生の時に学校付近で集めた葛の種も恩格貝に届けられていたことを知り感慨深かった。ただし、葛の種は蒔いてもすぐに羊に食われてしまい失敗だったらしい。
植林地にて
到着後、すぐに現地の人の案内で砂漠見学に行った。
ここはやはり砂漠で、植林していないところは雑草すら生えていない。この砂漠を南に挟んだところに楡林市が存在するがそこまでこの状態が続くのではないかと感じられるほどだった。起伏も激しく、歩く度に足が沈むが、トカゲは軽快に砂の上を走っていた。植林地付近の見学もして、噴水付きのホテル以外には苗木場・ダチョウ園・葡萄園・カラオケ等が存在し経済的にも回していこうとしていることが分かった。巨大なテーマパークのようにも見える。
木の管理をしている日本人ボランティアから話を聞く機会もあった。
彼の主な仕事は毎日の水遣りで、タンク車で植林地内に敷かれた道路を移動してホースで水を撒いて回る。ポプラには植えてから三年間は二週間ごとの水遣りを行っており、井戸が近くにあるところでは、そこから水を汲み上げて使っている。地下水位は40から100mということだった。
その他、夏の間は日本から毎日のように集まる植林隊の案内をしている。
翌日の午前中を使って「掛川の森」と書かれた石碑の近くに320本のポプラを植えた。この辺は条件が良いことと、早くから植林されているので地表面も固定され、鳥が飛び交うほどの成果を挙げている。
植林で驚いたのは、掛川隊の気合の入り方だった。平均年齢60近くありそうなメンバーが地下足袋と掛川茶を揃えて炎天下の中、木を植えまくった。
一本植えるのにスコップがすっぽり入るぐらい深い穴を掘り、木を差し込んで土を流し込んで固める作業を繰り返す。僕はすぐにへこたれて写真撮影していたが、大正14年生まれの人も、市議会議員の人も、花屋の人も、元キコリの人もおしゃべりながら穴を掘つづける姿は皆同じだった。

さすがに疲れが見え始めた頃になると、日本から持参した穴掘り機を導入した。
状況は一転し、大幅なペースアップを実現させる姿は技術大国日本の力を見せつけるようでもあった。
これには現地中国人・日本人ボランティアともに驚いていたので、どうやら他の植林隊はあまりこれを使っていないらしい。ただし、これをやると簡単すぎて本当に単純な作業になってしまう。それを知っていて、最後まで機械を投入しなかったところがにくい。
植林終了後の昼食ではビールを飲んで疲れを癒す掛川隊の表情には達成感が満ち溢れているように見えて、僕もうれしかった。また、研究内容を紹介する機会を設けてくれたり、励ましの言葉を贈ってくれたりと掛川隊の皆さんには最後まで良くして頂き幸せだった。記念に譲ってもらった足袋は持ち帰って、黄土高原の村を歩くときに使用している。
率直な感想
初日にここの地下水位が40mから100mと聞いて驚いた。その瞬間から「ここは植林すべき場所ではないのではないか。」とずっと考えていた。
僕が内モンゴルのオトク旗というところで参加させてもらっている植林地では低地ならば1mも掘ると水が出てくる。アルカリ化が進行しているものの、最も重要な水が存在するため半砂漠のようなところだ。それでもポプラのような水を多く消費する木を大量に植えるようなことはせずに、沙打旺・沙米などの種も蒔いている。植林されたポプラを守るために、日本人ボランティアがわざわざ中国滞在し、貴重な水を毎日吸い上げて回るという構図はどの部分を取ってもおかしいように思う。
僕はもう一日残ることにさせてもらい、滞在員と過ごす機会ができた。
地下水位が年々下がっていて井戸を掘る費用が高くなっているという。「ポプラではなく他のものを植えてはどうか」と提案してみたところ「それも考えているけれども」という返事だった。仮にポプラ植林を本気で減らそうと考えた時に、日本から押し寄せる植林隊が逆に重荷になることも充分考えられる。近い将来に、植林ではなく、もっと別な形での手伝いをしに行くグループが現れてもいいのかなと思う。
(富田啓一)
- Last updated by CREC webmaster
- at Sep, 30, 2007
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