快適さの探求

楡林は居心地がいい。

少なくともCREC関係者はそう感じている。また、楡林に何日か滞在したことのある者の多くが、何ともいえない居心地の良さを感じているのもまた事実である。この心地よさはどのように表現できるだろうか。

生活における心地よさ、それには気候、人びとの触れ合い、食事、文化・習慣など、要因は十人十色さまざまなものをあげることができよう。快適さというのは個々人の生活スタイルや意識に大きく依存した極めて主観的なものである。しかし、不快というのは往々にして皆意見を一致させる。例えば、楡林の街を見渡してみると、痰をはく者から、石炭の煙、道路のゴミ散乱等がまだ至る所で目に付く。この現状を快適だという人には、依然会ったことがない。


そして、ある状況下での快/不快の感覚の外には、一方で無感覚(無関心・無自覚)という状態がある。この「無感覚」である人々の行動こそが不快な環境を作り出す原因だという人もいる。無感覚な人とは即ち己の行動に対して好ましい/好ましくないという価値基準がない人である。しかし無自覚的に人間は快適(と多くの人が感じる)な状況を作り出すこともある。それは人間の《美》意識として考えることもできるだろう。・・・


何ともいえない心地よさ、これは言葉で表現しづらい。それはどのように他人に伝えられるか。そしてその感覚は共有できるものなのか。
私たちは、そのような問いを自身に向けながら、「快適さ」の構造を探求していく。

水と生活

中国、こと華北における水の扱いは日常生活維持に直結する重要な問題である。

降水量の少なさ・河川水量と人口比に起因する水の絶対量の問題、そして、工場・生活廃水、および化学肥料などによる農業用水汚染など水質に関する懸念。貴重な水資源は、農業だけでなく工業や生活用水としてますます大量に消費されるようになっている現在、水の有効利用と水質の安全確保が重要課題であることはいうまでもない。

現在でも年々悪化の傾向にある水問題。
行政機関をはじめさまざまな機関が各地で対応に苦心している。有効な手立ては一朝一夕にはでてこない。しかし水問題はこの地に暮らす人々の生活がかかっている、目をつぶって見過ごすことのできない問題である。


伝統文化

価値観の移り変わりが激しい現代、地域独自の文化の意味が改めて問い直されている。
世界標準なるものが人々の意識に刻まれようとしている陝北では今、いわゆるかっこよさ、美しさに代表される「憧れ」の対象は世界標準に寄りかかるようになってしまった。

土地に残る風習や伝統芸能。これらに私たちはどう付き合っていけばいいのだろうか。
保護と再生と進化。私たちはこのバランスを常に考えていく必要があるだろう。

いたるところで目にするようになった
Think Globally, Act Locally
という標語。

情報は既にグローバルに駆け回る現代、伝統文化は常に世界の中での位置づけを模索し、価値を作り出すことになる。世界に類を見ない独特な文化が未だ豊富に残る陝北は、ローカルに生きることそのものが世界で大きな価値となる、世界でも貴重な地域であることを皆さんに伝えたい。

伝統文化に正面から向き合うこと。
そして、地域独自なものに対するこだわり、それはゆくゆく地域の生態回復の大きな足がかりにもなると私たちは考える。伝統文化と風土は一心同体である。風土無くして文化無し。自然の中で人々が作り上げてきた文化を私たちは大事に見つめていこうと思う。



商品価値創出

中国の未曾有の経済発展により農村生活においても
現金収入の必要性が急速に高まっている。

そのため、多くの農村では大都市への出稼ぎ労働者が多数存在している。
このマクロな人口移動が引き起こすのは都市の過密化という面だけでなく、
農村に暮らす彼らの生活そのものを崩壊に導いている。

農村に暮らしながら現金収入を得ることは、自作の農作物の売買以外に
手段がほとんど無いのが現実である。その農作物も安く買い叩かれるの
が日常で、十分な生活ができるには程遠いものである。

このような現実のなかでどのような対策がとれるのか。
その一つの模索が自分たちで商品価値を創出することである。

まずは農作物に付加価値をつけて商品とすることである。

これまで、腐らせてしまうほど大量にとれるりんごを使った
りんごジャムや沢蘭という当地に自生する、地下茎で増え
る多年性の植物を利用したオリゴ糖製造など、農産物の
加工による商品生産を試みている。

しかしながらこれらも事業として軌道に乗り、定期的収入をもたらすには未だ至っていない。

エネルギー

経済発展の進む現代中国において、エネルギー需要の増加は当然の帰結であると同時に、大きな社会問題にもなっている。何をもってエネルギー供給を行うか、どのようにエネルギー需要と供給をバランスさせていくか。私たちの目の前にある現実は先送りできない今の問題である。

石炭の産地としても知られる陝北は、中国の重要なエネルギー供給地として大きな期待を浴びている。中国において石炭は重要なエネルギー資源であることは今も昔も変わりない。自給できる石炭は発電など公共事業としての需要だけでなく、各家庭での家事をおこうなうための重要な燃料でもある。黄土高原の農家では各家庭に石炭が積まれているのが目に付く。街中でもいたるところに石炭の山を見る。

言うまでもなく石炭をはじめとする地下資源は有限である。節約して使っていけば大丈夫というのはその場しのぎの意見に過ぎない。石炭が自然に生成される時間のオーダーと現代のエネルギー需要の増加速度は明らかに違いすぎる。それはつまり、いずれ供給にも限界がくることを明らかにしている。

エネルギー効率を良くする事。これは節約のために重要な視点である。
代替エネルギーを利用すること。これも多元的供給バランスを見る上で考えなければならない。
しかし、何より考えなければならないのはエネルギー資源を人間がどう扱っていくべきか、そのイメージなのかもしれない。石炭成金も出現しているこの地域で、K.Polanyiも言うような近代資本主義観に基づく土地の商品化が進む現実に対して、中国を環境をどのように変化させていくかという問いも含めて、私たちは考えていく必要がある。



  • 石炭の供給

  • 風力発電

  • メタンガス利用

緑化活動

緑を増やすこと。
それは木を植えること、それだけを意味しない。

緑を育てること。

これが最も重要な点である。

我々はこの点に積極的関与ともう一つ、「何もしない」という選択肢を同時に戦略的にとる。
何もしないということは無関心ということではない。それは自然の回復力を信じるということである。
黄土高原は何もしなければ結皮という現象が生じる。表面にかさぶたのようにこけが生えるのである。
これは風によって黄土が空に舞い上がるのを防ぐ重要なものである。

しかし、「何もせず土地を見守る」ことの意義を現地住民と共有するのは容易なことではない。
現地の農民は放置することを怠惰とみる。さらに、土地に手を加えないことによって
現地住民の生活が不便になってしまっては誰もその活動を認めようとはしない。
それは木や草を人の手で植える積極的関与も同じことである。

現地の人々が自発的に緑化活動に取り組める環境をつくること。
それが我々の目指すものである。

<プロジェクト>


  • 黄土高原国際民間緑色文化ネットワーク

  • 朱さん

  • 砂漠の中の森